食についての考察「ラーメン編:ナルトについて」

僕の中で「食」に関しての興味はかなり大きく、自分なりに考えて実際に試行錯誤してみようと思っています。

何年か前に初めてラーメンを麺から自分で作ってみたのですが、ここ数日、そのレシピなり工程を整理していました。

改めてラーメンを自分で作ろうかと思い立ったのですが、当時上手くいったのはチャーシューと半熟味玉と麺で、スープについては大幅に改良の余地があり、具材に関しては物足りなさも覚えました。


ナルトの乗ったラーメンって見なくなったなぁ…なんて郷愁に浸りながら、次はナルトを入れてみよう、要するに魚のすり身を蒸したものだからその辺で釣ってきた魚で作れば良いしな…なんて考えていると、ふとある疑問が浮かびあがりました。

あのギザギザした外形とピンクの渦巻の入ったナルトのデザインについて、機械的に作られているように見えるけれど、元々は何かそうなった理由なり根拠なりがあるのではないか?という疑問です。


そうして調べてみると、ある文献に出会いました。

嗜蒻陳人『蒟蒻百珍』(1846)という、江戸後期に書かれた、蒟蒻に関する当時の料理本みたいなものです。

大変有難い事に、国立国会図書館のデジタルコレクションで公開されており、そのコマ番号18~19にナルトについての記載がありました。

リンクはこちらです。

「鳴戸 くはしこんぶを敷 その上へ平作なるをひたとならべ 湯波をしき 其上にすり肉魚をうすくのべ 小口より巻 煮もの さしこみ 又は取ざかな」


くはし昆布ってなんだ?麗しい昆布って事か…?その上に平作りを並べて湯葉をしいて肉魚をうすく…そして巻く。

なんとなくその記載されているものがイメージできてきました。ギザギザは昆布で巻いた不揃いな感じが元で、渦巻はそこに薄く重ねられた湯葉やら何やらが巻かれる事でできたものなのかもしれません。

別に、これが本来のナルトの姿だ!と言いはりたい訳ではないです。

ただ、現行のデザインが、本来そうなるべくしてなっていたはずのものの表面を記号的になぞった名残のように感じたので、工業的に生産される事で、そこで失われた味なり技なり何かあるかもな、もしそうなら何か参考になるのではと思った次第です。


ちなみにデザイン的には現行のもの、大好きなんですけどね。ギザギザの要素とグルグルのまるっとした要素がシンプルに同居していて、想起しやすく、時代背景的な懐かしさや安心感も伴うというか。

しかし僕にとっては今回、美味しさについて、さらに言うとラーメンの具材としてのアイディアになれば良いのです。

その前提で考えると、昆布で巻くことによってその旨味がすり身に伝達したり、湯葉を挟む事で食感にコントラストができたりと、その良さは感じるので、試してみる価値はかなり大きそうです。

というかラーメンの具材というよりそれで一品出来そうな感じはしますが…


日記,2020-06-30