食についての考察−新北欧料理から考え『料理物語』(1643)を読む

農耕や畜産の環境負荷が叫ばれ続けている。

排出されるCO2などの温室効果ガスが東京ドーム何個分だとか、正直僕にはよく分からない基準だ。

環境を出汁に政治的な動きや拝金的な動きに結びついているという陰謀論が本当なのか虚偽なのかという事も正直どうでも良い。

しかし、僕自身この状況への疑問は大いにある。

そういった環境負荷の大きいものや動物の命を奪うものを口にしないという選択をよく目にするけれど、それもその人の一つの選択として尊重はしている。

かといって自分も同じ選択をするのかというと、それは自分の怠慢というか、思考停止のような気がしてならないし、何かを口にするたびに罪悪感を持って生きてもいたくない。


新北欧料理(ニュー・ノルディック・キュイジーヌ)という料理のジャンルがある。

00年代からデンマークの「noma」(レネ・レゼピ)を筆頭に、現在は閉店してしまったがスウェーデンの「FAVIKEN」(マグナス・ニルソン)などの料理人がその哲学をよく体現していたようにみえる。

月額制の各種動画配信サービスでもみれるが、例えば『ノーマ、世界を変える料理』(2015)や『シェフのテーブル』(シーズン1 エピソード6)などで彼らの哲学を感じ取れるだろう。

彼らの哲学によれば、旬の食材を使い、その土地の食材や水を使い、恐らく調味料に至るまでそれを徹底しようとするだろう。

自分で釣ってきた魚や仕留めた動物の肉を保存して使ってもいる。

その土地の古来の料理法と現代の技術や料理人のアイディアが組み合わさり、その一皿が社会の仕組みまで変えていく可能性があるように思うし、健康の諸問題や環境汚染への食からの解決策の提示でもあると思う。

僕は彼らの考え方から多大な影響を受けた。


そこで、時間を見つけて、何か活かせる発見がないか食関連の古文書を調べている。

『料理物語』(1643)は江戸時代の文献で、当時の料理本のような内容である。現代ではまず食べないような食材や調理法が散見され、とても新鮮だ。

個人的に気になったところで言うと、

・コイは地元郡山で生産量が日本一なので馴染みがある食材ではあるが、タナゴやフナも食べていたらしい事。

・ナマズの「杉ヤキ」と言う料理法。

・生垂(なまだれ)という、味噌と水を1:3で混ぜ抽出したものと、そこにカツオを入れて煎じて濾した煮貫(にぬき)という、味噌とカツオ出汁ベースのものが気になっており、これはWEBで検索すると今で言うめんつゆのようなものらしいが、WEBで検索してでてきた情報は文献をしっかり辿ると間違った情報が多く、それがコピペと言い回しの改変の連続で伝言ゲームのように変化していることが往々にしてあるので、信用は出来ないし、僕はまだ他の文献でこの「なまだれだし」と言うものがどういったものなのかも確認できていない。しかし、そういった使い方になってくるものだとは想像に易い。

・正木醤油という醤油の製法。

・生姜酒というものが紹介されており、「みそに生姜おろし、すりつけ煎りて酒を入、かんを致し候」と書いてある。味噌に生姜をおろし、熱燗にする。これからの時期にオーセンティックバーで注文するのが楽しみなホットカクテルのひとつ、ブルショットのようなものになるのだろうかと想像している。例えるならスープのようなものだ。江戸のブルショット。


タイミングもあるとは思うが、来年の5月頃にはひと月ほど伊豆半島放浪の旅に出ようと考えている。釣り竿とテントを持って、その場所でとれたものを食べて生きる。

伊豆の食材を見て周り、恐らく自分のことだから海水を煮詰めて塩を作るところから始めるだろう。

自分が山で育ち培ってきた山菜や野草やキノコなどへの知見と、釣りという技術、あとはその土地の狩猟者や生産者の努力を、先人たちの料理法に着想を得て一つのお皿として形にしていければ、有意義な旅にできるかなと考えている。

私有地などには入らないことや、国立公園内や漁業権の制定されている場所など、採取が禁止されていたり制限があるような場所は事前に調べておき、従うことは当然の前提である。

釣り場やテント場でのマナーの悪化も叫ばれているが、こういう事にルーズになると、結果釣り場もテント場も制限される一方で不自由になり自分の首を絞める。


僕はプロの料理人ではない。だけど自分がこの社会で自分として生きていくために、食にも興味がある。食べて生きるという生き物の基本だと思う。

当然生きてきた過程でこの社会の恩恵をかなり受けているし、そのおかげで自分の今がある訳だけれど、その根本的な仕組みの所にかなりの疑問も持っている。

社会という顔も実態もない漠然としたつかみどころのないものへ、昔は反抗的になったり破滅的にもなったりして、どうすることもできないという諦めもあったし、そんな自分への苛立ちもあったけれど、そういったものは乗り越えれたのかな。

今は自分なりの解決策を楽しみながら探れるようにはなった。


ちなみに、化学調味料の類は僕は使わない。使う事を否定するつもりもないけれど、美味しさや豊かさを求めると、僕には合わない。

物質としての旨味成分=美味しいという訳ではないように思うからだ。まず出汁を取ると、風味や香りがそれぞれで全然違う。その美味しさや豊かさをを大事にしたい。

同じアルコールといっても、消毒用アルコールとバーボンやブランデーやジンではかなりの違いがあるといえばイメージし易いだろうか。

話は逸れたが、自然の恵みに感謝しながら、自分なりに考えて生きていきたい。

日記,2020-11-11